大好きなミュージシャンのホームタウンまで行ってみた話(Part.1)


チェスター郊外へ

さて、2018年11月にチェスターに行って、予約していた宿の場所が見つからず、一瞬野宿を覚悟しかけた話は既に書きました。チェスターを訪問したのは、もちろんあのミュージシャンの故郷であり、あのバンドが結成された、ファンにとっての「聖地」だからです!

私としては折角ここまで来たからには、ご本人の住んでいた辺りまで行ってみたいわけです。次はいつチェスターまで来られるか分からないし。当然正確な住所までは知る由もありませんが、ご本人が育ったのと同じ風景を見てみたかったのです。

幸い、町の名前は明らかにされていますし、ご実家に帰られた際にインスタで「若い頃によく来ていた公園」や「昔眺めていた懐かしい景色」の写真をアップしていて、アタリはついています。ご興味のあるファンの方はインスタをさかのぼって見てみると簡単に発見できると思います。

その町はチェスター駅からは車で15分ぐらい。鉄道とバスを乗り継いで行くと約30分強というところでしょうか。比較的交通の便の悪い場所で、当然ながらごく普通の住宅街です。時間はあるし、ブリットレイルパスを持っているので鉄道は乗り放題だし、しかもご本人はツアー中で絶対にこの辺にはいない!のんびり行ってみようかなというノリで行ってみました。


イギリスの地方都市でバスに乗るということ

まずは鉄道です。お目当ての町までは、本数は少ないながら鉄道に乗ってたったの1駅。無人駅で降りて、歩いて5分ほどの停留所からバスに乗り換えて15分程だったかと思います。11月中旬だったという事もあり、寒くて寂しい道のりです。


それにしてもロンドン以外の場所で「バスに乗る」のってハードルが高い。行き先や乗るべきバスの番号はGoogle Mapがあれば何とかなりますが、支払いが難しいんですよね。全部ICカードが処理してくれれば一番簡単なんですが、現実は甘くない。国内旅行ですらバス利用は難易度が高いのに、言葉が話せない海外だとさらに心理的ハードルが高い。しかも私が地方でバスに乗るのは観光客が行くような場所じゃないのでなおさらです。


イギリスのバスは大抵は前乗り、中降り、運賃前払い形式のようです。もしかしたら例外があるのかもしれませんが、私の今までの経験では全部その形式です。地元の方はICカードでピッとやっていますが、その日しか滞在しない旅人は、現金で割高な運賃を払わざるを得ません。

バスが来たらバスの前から乗り込み、運転手さんに「〇×まで行きたいのですが、いくらですか?」と聞いて現金を支払い、レシートを貰うという手順が必要になります。


見知らぬ土地のバス停の名前なんて到底発音できる気がしないので、いつもスマホにGoogleMapのバス停リストを表示させ、それを運転手さんに見せて、指差しながら読み上げます。すると£2なり£4なり言われますので、現金で支払いを済ませます。手元に£5札を用意しておけば大体用が足りると思います。

あとは目的のバス停名がアナウンスされたら、日本と同じように自分の近くにあるボタンを押して「降ります」という意思表示をします。バスが停まったらバスの中ほどにあるドアから降りれば ‘Bob’s your uncle!’(いっちょあがり!) というわけです。

しかし大抵目当てのバス停に着いたら運転手さんが黙っていても止まってくれます。チェスター郊外に行ったこの時にも、ちょっと油断していて降りますボタンを押し損ねたのですが、運転手さんがちゃんとバスを止めて「ここだよ」と教えてくれて、慌てて下車しました。親切!ありがとう運転手さん!


この街の成り立ち

英語のWikipediaに掲載されているご本人の談によると、ここは第二次大戦後リヴァプールの80万人の人口の半分、約40万人が集団で移住した街との事。日本語のリヴァプールのWikipediaを見てみると、「1960年代から1970年代には大規模なスラム浄化と再建計画がはじまり、」という記載があるので、流れとしては間違いなさそうです。

古くから工業都市・港湾都市として知られていたリヴァプールは、大戦中にドイツ軍からの多数の空襲に晒されてたようで、 1990年代後半にリヴァプール大学に通っていたLuke先生も「自分が大学生の頃、まだそこかしこに爆撃されて破壊された建物跡の空き地があった」と話していました。

つまりざっくり言うと、ドイツ軍の爆撃で街はグチャグチャ、元々人が多すぎてスラム化して困ってたし、 戦争も終わったことだから再開発しちゃおう!人口多すぎるからどこかに大量に家を建ててそっちに半分ぐらい移動させればいいんじゃないかな?という大計画が実行されたんでしょうかね。

とにかく、建築家をされていた父上がこの地域の開発にかかわりがあり、自らが設計した家の中の一軒を家族のために購入し移り住んだ、という事だと、どこかで読んだようなおぼろげな記憶もあります。(曖昧) この街は行政区としてはイングランドではなく、ウェールズに当たりますが、上に述べたような経緯から、 住民の多くが元々はリヴァプールに住んでいたイングランド人のようです。


寒くて寂しい河川敷

私がバスを降りたその停留所の前には小さなお店が2軒並んでいて(後に調べたところ、Pubを併設したB&Bと家具屋さんでした)、お昼過ぎという時間帯のせいもあってか、ひと気は全くありません。幹線道路を挟んで反対側に進むと、川岸に向う道が見えてきます。


非常に冷たい風が吹いております

何かの修理工場、コンテナを改造して作られたカフェ、自然のままに放置されて草がボウボウと生えた空き地。冷たい風に晒されながらコンクリートで固められた川岸にたどり着くと、自転車を停めて川面を眺めるお年寄りがぽつんと彼方に見えるほかは、人影もありません。

脇を見ると英語とウェールズ語が併記されたこの川の案内看板があり「この川では少なくともローマ時代には既にサケ漁が行われており、現在では商業漁業は行われていないものの、規定の範囲内でのサケ釣りは認められている」旨の説明が、1975年頃に撮影されたサケ漁用のボートの写真に添えられています。写真に写る川の様子は今とは全く別の自然のままの河岸なので、どこかの段階でサケ漁が廃止され、その後護岸工事が行われたものと考えられます。


昔はこんな景色だったんですね。のどか。

さらっと「ローマ時代には~」などと書いてありますが、グレートブリテン島をローマ人が支配していたのは40年から410年頃。日本で卑弥呼が活躍していたのが242年~248年という事なので、本当にかなり「昔」ですね。しかしイギリスというところはロンドンにも地方都市にもローマ時代の遺構が沢山残されていて、「昔」がずいぶん身近に感じられるなぁといつも思います。


ご本人はここによく来て川の景色を眺めていたようなのですが、絶対11月じゃないし(いくらなんでも寒すぎ)、もしかしたら護岸工事がされる前で、もっと賑やかで自然がいっぱいだったのかもなぁ…などと思いながら暫く向こう岸にある巨大な送電線を眺めていました。

寒々しい景色も相まって、とにかく寒くて仕方が無いので、次の目的地の公園に向かうことにします。Google Mapによると歩いて20分以上かかりそうなのですが、いつ来るか分からない(しかも不安がいっぱいの)バスに乗るよりは、とゆっくりと歩き始めました。徐々に冷たい風に雨が混ざり始めて、寒い~!(続く)


投稿者: sakura_beta

生まれも育ちもずっと札幌、100%ピュアな札幌民。 2016年5月3日、突然イギリス人ミュージシャンのポール・ドレイパーさんを発見して、完全にハマり、ポールさんがツアーをするたびにイギリスまで見に行っています。 好きな食べ物はビールですが最近は1杯でも飲むと次の日に響きます。テレビは全然見ない。大体いつもひとりで行動します。ポールさん以外の音楽をほとんど聞かないので、洋楽の話をされても分かりません。 たまにイギリスに行くため、やむを得ず英語の勉強をしていますが、この間イギリス人に「Your English is so very terrible.」といわれました。soとveryって一緒に使ってもいいんですね!どうもありがとう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA