イングランドの小さな町で、今度こそ本当に野宿かなと覚悟した時の話

2018年11月のアコースティックツアーの際、チェスターで野宿しかけた話は以前書きましたが、実はこの旅ではもうひとつ、大きな危機がありました。


Stockton-on Teesはこの辺。

ツアーの千秋楽は難易度が高い

2018年11月のアコースティックツアーの際、チェスターで野宿しかけた話は以前書きましたが、実はこの旅ではもうひとつ、大きな危機がありました。

そもそもツアー自体が4日間でヨーク→アバディーン→エディンバラ→ストックトン=オン=ティーズを移動するという、無茶な日程だったのです。あまりに長距離移動なため、一部飛行機の利用も検討したのですが、調べてみるとほとんど時間短縮にならない上、費用も大きく変わらないことが分かったので、結局全て鉄道を使う事にしたのでした。

とにかく連続全4日間のツアーの追っかけです。英国名物「鉄道遅延」で予定の乗り換えに失敗したりしつつ(指定席のお金返してプリーズ)、3日間の移動をなんとかこなし(ほとんど観光なんてする暇も元気もなく)、いよいよ最終日のストックトンを迎えました。みなさん知ってますかストックトンを。

・ヨーク→名前知ってるー!大聖堂で有名ですよね。

・アバディーン→名前聞いたことあるある。調べたら思ったより北にあってびっくりしたけど。イングランドじゃなくてスコットランドかー。

・エディンバラ→知ってる知ってる!世界遺産?!

・ストックトン=オン=ティーズ→???

ストックトン=オン=ティーズ。私は初めて聞いた地名でした。もうね、最初から危険な香りがしてたんですよ。人口8万人。曰くイングランドで最も平均寿命が短い街(ネットの記事によると町の経済不況と飲酒習慣が原因と目されているとの事)。ライブ会場の徒歩圏で「ホテル」と名のつく施設は満室。何度チェックしてもキャルセルが出て来る気配はありません。


ツアーで地方にも来てくれるありがたみ

ここでちょっと別のお話。なんでツアーで毎度こんなに大変な思いをするかというと、それは自分の見たいライブが小さい町で開催されるからです。大きな町でもやってるんですよ。ロンドンとかバーミンガムとか。だけど同じぐらい小さい町での開催も多いのです。これには多分理由があって、私が追いかけているアーティスト様の若かりし頃、バンド時代まで遡ります。

プロになることを夢見て、地元のチェスターではなくわざわざスカウトが出入りしているリヴァプールのスタジオまで遠征してリハーサルを重ねていたこのバンドは、一度もライブ経験のないまま、目論見通りにスカウトされ、レコード会社とサインすることになります。アイドルみたいだなと思ってしまいますが、意外とそういう事ってあるんですね。

で、ライブです。ご本人たちは未経験だし人前で演奏するなんて恥ずかしいし緊張するしで、かなり苦手意識が強かったようですが(最初期の映像を見ると、目深に帽子かぶったりしてますね*)、しかしロックバンドとしてライブは避けられないということも分かっていたのでしょう。怒涛のツアーを行うことになるわけです。とにかく小さな町の小さな会場までツアーで周り続けた結果、デビューからわずか2年で、雑誌の読者アンケートで年間ベストライブバンドの称号を受けることになります。偉い!そういうところは真面目!

*シャイすぎてステージに立つどころか、歌詞を書くのも恥ずかしかったため、1stアルバムがあんな内容になったという説も。

小さな町でライブを行った際、地元の人から「君たちが来るのをずっと待っていた。この町でライブをしてくれたのはThe Clash以来、君たちが初めてだ!」と言われたという逸話を何処かで読んだ記憶があります。1990年代半ば~後半の話ですから、多分その町では10年ぶりぐらいのライブだったんでしょうね。そりゃすごい。

このバンドは解散から20年近くなる今でも熱狂的なファンがいることで知られています。様々なメディアで「無茶苦茶ファンが固い」バンドとして紹介されているのを何度も見ています。音楽メディアや他のバンドのファンからは感心されているというか、呆れられているというか、ドン引きされているというか。

解散してしまったにも関わらずバンドのファンイベントが開催され、世界中から数百人ものファンを集められる*バンドは他になかなかいないでしょう。正確に言うと「イベント?開催されれば喜んで行くよ!」というファンは世の中いくらでもいると思いますが、それを主催するモチベーションと実行力を兼ね備えたファンチームを抱え続けていることが「すごい」のです。

*不定期ではありますが、このイベントはこれまでに4回開催され、最新の回でもまだ200人も集まってるらしい。

ご本人は独特かつ強固なファン層を作り上げたことについて「小さな町をツアーし続けたこと。差し出される全ての手と握手し続けたこと。」がその理由だと思うと分析しています。そして、おそらくそれを理解しているがために人口10万人にも満たない小さな町でもライブを続けているのです。今でも。ご自身も小さな町の出身で、音楽ファンにとって生で演奏に触れられることがどれほど貴重な事か、よく知っているというのもあるんでしょうね。ええ話や…。私自身、地元に来てくれる海外アーティストを見に行って何度感動した事か。遥か彼方にいる夢のような存在が身近に感じられて、世界が少しだけ小さくなったように感じたような気がします。

しかし。もちろんご本人が小さな町のライブで想定しているのは地元民。まさか極東の日本くんだりからわざわざイギリスまでやって来て小さい会場まで追いかけまわす酔狂なファンがいるとは思っていない事でしょう。
つまり、旅の苦労は自業自得やで!当たり前だけど!でも小さい会場のライブは無茶苦茶楽しいから仕方ない!


宿が無いのよ、宿が

とにかく、会場最寄りの空きのあるホテルは車で20分以上かかり、確かUberも調べたんですが当時はサービスエリア外っぽかったのです。ライブが終わった後にバス?流しのタクシー?いやいやいや無理でしょう。路頭に迷うのが目に浮かぶ。

やっとの事で見つけたのは会場から徒歩15分程のAirbnb的な宿で、1泊素泊まり約3,500円。写真を見る限り、イギリスでよく見かけるテラスハウスの一室です。明らかに素人が撮ったと思われる写真が怖い。青白い蛍光灯に照らされた寒々しい殺風景な部屋…。まずはそこを予約でおさえて、他に良い方法がないかギリギリまで模索し続けました。

イギリス人のフォロワーさんが、少し離れたところにある、見るからに居心地の良さそうな、ヒラヒラした感じの(ベッドに天蓋が付いてた)ガーリーなAirbnbを見つけてくれて、こっちにしなさい!当日タクシー手配してあげるから!とまで言ってくれたりもしましたが、連泊でなきゃ受け付けてくれなかったりで、結局ボツに。

ツアー最終日を見たいなら、もう覚悟を決めて泊まるしかない!寒々しい3,500円素泊まり共同シャワー&共同トイレ!幸いなことに土壇場になってから同じ宿の少しいいお部屋に空きが出て、専用シャワーと専用トイレ付きの部屋に予約を変更することができました。それでも確か5,000円くらいだったような。安い宿、怖い。


まずはたどり着かなきゃしょうがない

世界の鉄道ファンの皆さん、ここが鉄道発祥の地「ダーリントン」です!

宿の難しさもさることながら、交通の便の悪さもストックトンの魅力の一つです(何)。前日のエディンバラから ストックトン=オン=ティーズまでは1時間半ほど鉄道を使い、別のローカルの鉄道に乗り換え、ダーリントンで下車。さらにそこからバスで30分ほどの道のり。今思えばもっとエディンバラ寄りのところでローカル線に乗り換えれば町まで直接鉄道で入れたんですよね。乗り換え無茶苦茶多くてそれはそれで怖いけど。

鉄道は…大体何とかなるのです。真剣に検索を重ねれば細かい情報がある。問題はバス、バスですよ。どれだけ検索してもバスについてはネット上に情報が少ないんですよね。観光地でもないような場所は特に。こういう場所ではGoogleマップ一神教徒になるしかない。

この時もやっとたどり着いた無人の鉄道駅から停留所を探してウロウロし、多分ここ?かな?と思われるところでバスを待っておりました。確かこの時点で15時過ぎくらい。宿には16時頃着くと連絡を入れていたので、程よい頃合いでしょう。

若干の心配は前日に「16時前後にそちらに着くので宜しく」とメールをしても返事が無かったことです。しかし数日前に「そちらにはドライヤーがありますか?」と問い合わせをした時には「ありますよー!当日お待ちしてますね♪」と普通に返事が来たし、大丈夫でしょう!多分!(もっと心配しなさい)

当たり前なんですけど、この辺まで来るとバス停には地元民しか居ないんですよ。しかもお年寄りばかり。自分で言うのもなんだけど無茶苦茶浮いてる。明らかに観光目的で来るようなところじゃない。でもそこは礼儀正しい(?)イギリス人、みんな多分内心「何だろうこの人」と思ってるんでしょうけど、完全に空気扱いです。

知らない町でバスに乗る心細さたるや(ドキドキしながらバスを待ってる時の写真)

地方のバスの難しさよ

そんな状況で10分くらい待った後でしょうか。定刻通りにバスがやって来たんですが、よく見ると私が乗りたいバスと番号が微妙に違う。49に乗りたかったのに、やって来たのは48Xとかそんな感じ。このバスの後に別のバスが来るのかな?んんん?などと迷っていたら、待っていたお年寄りの皆さんが「ちょっと運転手さん、このバスは49じゃないのかい?(想像)」と大声でドライバーに質問しています。なるほどこの辺はそういうアクセントなのか。そしてまさしくそれは私が聞きたかった質問…どうやら48Xでスタートして途中で49に番号が変わるトリッキーな仕様のようです(想像*)。

*冷静に思い返すとどうしてこういう英語が聞き取れてるのか(もしくは聞き取れてると思う事自体が勘違いなのか。)我ながら謎なのですが、危機に陥ると実力以上の能力が発揮されますね。火事場の馬鹿リスニング。(ちょっと空耳アワーっぽい)

心の中でおばちゃん達サンクス!と思いながらバスに乗り込み「ここの停留所まで行きたいんですが…」とスマホ画面に表示した宿の最寄りのバス停を運転手さんに見てもらいました。すると「うーん、分からんなぁ」…えっ!分からない?


イギリス人って

思えば地元のお客さんしか乗ってないから仕方ないんですが、運転手さんはルートは分かってもバス停の名前なんて覚えちゃいないわけです。アナウンスは自動音声だし。するとバスの車内にいたお年寄り達が一斉に「多分○×を超えたところのあそこだよ」「そうそう、何とかの近くのほら、あそこあそこ!」などと口々に大声で運転手さんに怒鳴ってくれました。いやーみんな親切。運転手さんにお金を支払ってバス車内の皆さんにペコリと頭を下げてお礼を申し上げ、バスは無事に走り出しました。なんかもうこの辺でちょっと安心したんですよね。大間違いでしたけど。

最初は住宅街を縫うようにゆっくり走っていたバスは、途中で高速道路のようなところに入り、スピードを一気に上げて進んでいきます。え?こんなに遠く?と思うくらいの長距離を容赦なく進んでいくバス。Googleマップで見ていると進んでいる方角は間違いない。しかしどんどん人里から離れていくと同時に増していく心細さよ…

30分ほど猛スピードで走ると景色が徐々に住宅地になっていき、いよいよ目当てのバス停に近づいてきました。私の前に座っていた花柄のワンピースを着た女性が振り返って(多分70歳ぐらい?)次だよ!と声をかけてくれます。優しいなぁ。で、私がバス降りたら何故かその人も一緒に降りて来て、あっちにスーパーがあって、こっち方向が駅でと、何やら説明をしてくれています。どんだけ親切!(アクセントが強くて早口でなに言ってるか全く分からない)とにかく本当にありがとうございます!とお礼を言って別れました。もーハグしたいぐらいだよ!


ついに宿に…着いた?

バス停から宿までは徒歩5分程度のはず。寂れた街にありがちな大きめの幹線道路、ひと気はありません。冷たい雨が降ってるし、11月のイギリスは日が暮れるのが早くて、暗くなって来る時間帯。早く宿に入って、少し休んでから会場の下見ついでに何か食べ物を仕入れてこないと。完全に暗くなってから道に迷うの嫌だし。

幹線道路から一本入ったタウンハウスは事前に宿の紹介で見ていた写真と同じ。同じ外観の建物が連なっている中、宿の番地を確かめながら進むと、かなり奥の様子。玄関周りに壊れた家具が放置している家もあって、雑然とした雰囲気です。そんな中で目当ての番地を見つけました!Chesterと違って楽勝だ!

看板出すとかそういう事はしないですよねそうですよね。

しかしどこからどう見ても普通の住宅です。表札もサインもない。 間違って違う住宅をピンポンして、普通に住人が出てきたりしたら何と言っていいか分からない。アメリカなんかだといきなり射殺されちゃったり…?まさかそんなことはね。 かなり不安にかられながら玄関のブザーを鳴らしました。


「しーん」

はい、誰も出てこない。本当にありがとうございます。


もちろん何回か鳴らしましたよ。番地間違ってるのかなと思い周りの家も確認しました。しかし場所は間違いなさそうです。道を挟んで交互に番地が順に続いてる。こちら側が1、3、5で、道を挟んで向こうが2、4、6と規則的に並んでいます。だから番地は間違いなさそう。しかしそもそも家の中に人の気配がしないんですよ、電気もついてなさそうだし。何度かブザーを押しながら15分ほど待ってみたけど誰も出てこないし反応もない。3回くらい電話もしてみましたが、誰も出ない。ああ、だんだん日が暮れて来た…


どうしたらいいの?

【案1】ここでひたすら待つ?(でもいつまで?)

【案2】宿が確保できそうな、少し大きめの街まで戻る?(多分ここから1時間以上かかる)ライブが始まるのが大体4時間後なので見られない可能性が高い。いや、今すぐ決断して移動しながら予約して、チェックインしてから急いで戻ってくればギリ見られるか?いや、チェックインは後にしてこのままここにいてもいいのか?しかし荷物、荷物はどうする?ライブ後に交通機関動いてるのかな?宿までたどり着けるのか?やっぱり無理だろうか。明日には日本に帰るんだし、ライブを見られないならいっその事、このままロンドンまで行っちゃった方がいいかな?

【案3】ギリギリまで近隣の宿を当たって、最悪野宿も辞さない覚悟で後先考えずにライブだけは見る?(せめて雨さえ降ってなきゃなぁ…←降ってなかったとしたってどうするつもりなのか謎)


1から3の案を頭の中で5周くらい吟味しつつ、決断できないまま、どんどん暗くなる道端で小雨に降られながら更に15分、トータルで30分ほどを過ごしたでしょうか。時間は4時15分ぐらいかな。今頃会場ではリハーサルやってるのかなぁ。ライブは前座が終わって本人が登場するのが多分8時過ぎ。ここまで来て千秋楽のライブが見られないなんてむごすぎる。

でも決断しないとライブが見られない上に宿すらなく、立ち往生する可能性があります。どうしよう…今度こそ野宿か…どこか物陰のごみ箱の中とかなら夜中でも危険を避けられるだろうか…。真面目な話、寝袋…寝袋売ってるところってないかな?いや、寝袋買ってどうするつもりなんだ私?テントも買う?いやいや、そういう事じゃない。


イギリス人って~Part.2

そして無駄と思いつつ絶望的な気持ちで何度目かのドアベルを鳴らした時です。急に暗い家の中からドアがガチャガチャっと開いて、ニッコニコの小柄な若い女性が現れたのでした。

「ゴッメーーーーーン!掃除してて気づかなかった(ハート)マジゴメンねー!(みたいな感じの英語)」

イヤホントカンベンシテクダサイ…

あんた絶対今までヘッドフォンで大音響で音楽聞いて踊りながら掃除してたやろ!なんかそんな感じするもん!ファンキーだ!オーラが!ノリノリやん!そら玄関ブザーも電話も聞こえんはずだわ!(フレンドリーで明るくてとても感じのいい子だった)

こっちも「やだーもーマジ焦ったよ~!良かった~(ハート)」ぐらい言いたいんですが、私の英語力で言えるのは…

「の、ノープロブレム・・・(オリエンタルスマイル)」

いやー旅って本当にいいものですね!(白目)

何もなくてもとにかくお茶だけは充実の飲み放題。それがイギリスクオリティ。

大好きなミュージシャンのホームタウンまで行ってみた話(Part.1)


チェスター郊外へ

さて、2018年11月にチェスターに行って、予約していた宿の場所が見つからず、一瞬野宿を覚悟しかけた話は既に書きました。チェスターを訪問したのは、もちろんあのミュージシャンの故郷であり、あのバンドが結成された、ファンにとっての「聖地」だからです!

私としては折角ここまで来たからには、ご本人の住んでいた辺りまで行ってみたいわけです。次はいつチェスターまで来られるか分からないし。当然正確な住所までは知る由もありませんが、ご本人が育ったのと同じ風景を見てみたかったのです。

幸い、町の名前は明らかにされていますし、ご実家に帰られた際にインスタで「若い頃によく来ていた公園」や「昔眺めていた懐かしい景色」の写真をアップしていて、アタリはついています。ご興味のあるファンの方はインスタをさかのぼって見てみると簡単に発見できると思います。

その町はチェスター駅からは車で15分ぐらい。鉄道とバスを乗り継いで行くと約30分強というところでしょうか。比較的交通の便の悪い場所で、当然ながらごく普通の住宅街です。時間はあるし、ブリットレイルパスを持っているので鉄道は乗り放題だし、しかもご本人はツアー中で絶対にこの辺にはいない!のんびり行ってみようかなというノリで行ってみました。


イギリスの地方都市でバスに乗るということ

まずは鉄道です。お目当ての町までは、本数は少ないながら鉄道に乗ってたったの1駅。無人駅で降りて、歩いて5分ほどの停留所からバスに乗り換えて15分程だったかと思います。11月中旬だったという事もあり、寒くて寂しい道のりです。


それにしてもロンドン以外の場所で「バスに乗る」のってハードルが高い。行き先や乗るべきバスの番号はGoogle Mapがあれば何とかなりますが、支払いが難しいんですよね。全部ICカードが処理してくれれば一番簡単なんですが、現実は甘くない。国内旅行ですらバス利用は難易度が高いのに、言葉が話せない海外だとさらに心理的ハードルが高い。しかも私が地方でバスに乗るのは観光客が行くような場所じゃないのでなおさらです。


イギリスのバスは大抵は前乗り、中降り、運賃前払い形式のようです。もしかしたら例外があるのかもしれませんが、私の今までの経験では全部その形式です。地元の方はICカードでピッとやっていますが、その日しか滞在しない旅人は、現金で割高な運賃を払わざるを得ません。

バスが来たらバスの前から乗り込み、運転手さんに「〇×まで行きたいのですが、いくらですか?」と聞いて現金を支払い、レシートを貰うという手順が必要になります。


見知らぬ土地のバス停の名前なんて到底発音できる気がしないので、いつもスマホにGoogleMapのバス停リストを表示させ、それを運転手さんに見せて、指差しながら読み上げます。すると£2なり£4なり言われますので、現金で支払いを済ませます。手元に£5札を用意しておけば大体用が足りると思います。

あとは目的のバス停名がアナウンスされたら、日本と同じように自分の近くにあるボタンを押して「降ります」という意思表示をします。バスが停まったらバスの中ほどにあるドアから降りれば ‘Bob’s your uncle!’(いっちょあがり!) というわけです。

しかし大抵目当てのバス停に着いたら運転手さんが黙っていても止まってくれます。チェスター郊外に行ったこの時にも、ちょっと油断していて降りますボタンを押し損ねたのですが、運転手さんがちゃんとバスを止めて「ここだよ」と教えてくれて、慌てて下車しました。親切!ありがとう運転手さん!


この街の成り立ち

英語のWikipediaに掲載されているご本人の談によると、ここは第二次大戦後リヴァプールの80万人の人口の半分、約40万人が集団で移住した街との事。日本語のリヴァプールのWikipediaを見てみると、「1960年代から1970年代には大規模なスラム浄化と再建計画がはじまり、」という記載があるので、流れとしては間違いなさそうです。

古くから工業都市・港湾都市として知られていたリヴァプールは、大戦中にドイツ軍からの多数の空襲に晒されてたようで、 1990年代後半にリヴァプール大学に通っていたLuke先生も「自分が大学生の頃、まだそこかしこに爆撃されて破壊された建物跡の空き地があった」と話していました。

つまりざっくり言うと、ドイツ軍の爆撃で街はグチャグチャ、元々人が多すぎてスラム化して困ってたし、 戦争も終わったことだから再開発しちゃおう!人口多すぎるからどこかに大量に家を建ててそっちに半分ぐらい移動させればいいんじゃないかな?という大計画が実行されたんでしょうかね。

とにかく、建築家をされていた父上がこの地域の開発にかかわりがあり、自らが設計した家の中の一軒を家族のために購入し移り住んだ、という事だと、どこかで読んだようなおぼろげな記憶もあります。(曖昧) この街は行政区としてはイングランドではなく、ウェールズに当たりますが、上に述べたような経緯から、 住民の多くが元々はリヴァプールに住んでいたイングランド人のようです。


寒くて寂しい河川敷

私がバスを降りたその停留所の前には小さなお店が2軒並んでいて(後に調べたところ、Pubを併設したB&Bと家具屋さんでした)、お昼過ぎという時間帯のせいもあってか、ひと気は全くありません。幹線道路を挟んで反対側に進むと、川岸に向う道が見えてきます。


非常に冷たい風が吹いております

何かの修理工場、コンテナを改造して作られたカフェ、自然のままに放置されて草がボウボウと生えた空き地。冷たい風に晒されながらコンクリートで固められた川岸にたどり着くと、自転車を停めて川面を眺めるお年寄りがぽつんと彼方に見えるほかは、人影もありません。

脇を見ると英語とウェールズ語が併記されたこの川の案内看板があり「この川では少なくともローマ時代には既にサケ漁が行われており、現在では商業漁業は行われていないものの、規定の範囲内でのサケ釣りは認められている」旨の説明が、1975年頃に撮影されたサケ漁用のボートの写真に添えられています。写真に写る川の様子は今とは全く別の自然のままの河岸なので、どこかの段階でサケ漁が廃止され、その後護岸工事が行われたものと考えられます。


昔はこんな景色だったんですね。のどか。

さらっと「ローマ時代には~」などと書いてありますが、グレートブリテン島をローマ人が支配していたのは40年から410年頃。日本で卑弥呼が活躍していたのが242年~248年という事なので、本当にかなり「昔」ですね。しかしイギリスというところはロンドンにも地方都市にもローマ時代の遺構が沢山残されていて、「昔」がずいぶん身近に感じられるなぁといつも思います。


ご本人はここによく来て川の景色を眺めていたようなのですが、絶対11月じゃないし(いくらなんでも寒すぎ)、もしかしたら護岸工事がされる前で、もっと賑やかで自然がいっぱいだったのかもなぁ…などと思いながら暫く向こう岸にある巨大な送電線を眺めていました。

寒々しい景色も相まって、とにかく寒くて仕方が無いので、次の目的地の公園に向かうことにします。Google Mapによると歩いて20分以上かかりそうなのですが、いつ来るか分からない(しかも不安がいっぱいの)バスに乗るよりは、とゆっくりと歩き始めました。徐々に冷たい風に雨が混ざり始めて、寒い~!(続く)